言葉足らずの頑張らないブログ

精神科の看護師で筋肉大好きな自分の看護師ライフや筋トレなどなどについて語ります!

言葉では足りない

語り尽くす事はないと思うことが多い気がする

 

語り尽くすには、時間が足りないと感じる場面が多い

 

僕の話す事はいわば、おとぎ話

 

特に意見として話す事の中に自分の芯になる答えはない

 

一つだけ大切にしているのは目の前に居る人

大切に思う人の幸せを願い、その支えを必要な時にしてあげること

 

だから、僕が何を言おうともそれは僕の本心でも思っていることでもない

 

ただ、道を塞ぎたくないからいろんな可能性を話す中で夢中になって相手を圧倒してしまうだけ

 

だから、その自分は出来れば出したくない

それを認めてないわけではなく、出す事で沢山自分にとって良くないことが起きるのをよーく知っているから

そうしたくないだけ

今もこれからも

みんなと仲良くいる時間を持ちたいし、悪しき風習を絶ちたい

背伸びをやめてみた

頑張る事をやめた

 

単に怠惰になったのでは無く

ただ普通に自分のできる事をやるようになった

 

自分で抱え込んでいた

 

誰かに相談しちゃいけない

誰の力も頼ってはいけない

 

本当は自分一人でなんて生きていくのは難しいのに

 

自分を良く見せようとしていた

そうする事が自分にとって大事な事だと思っていた

 

そうする事で誰かの力を頼る事が難しくなるのに

 

だからただやめた

やめてみたら心が楽で仕方ない

 

そうじゃないこともそう上手くいかないこともよくある

ただ、それが生きてる感覚な気がした

 

そうしたら、世界は明るくなった

しがらみからの解放

失敗をする度

 

反省はしてきた

 

行動もしてきた

 

だけど、行動を続けてこなかった

 

しかも、自分自身が一番向き合わなければいけない事を結果的に無視し続けていた

 

自分の中で、へばりついて離れなかった

 

自分の弱さのせいで離せなかった

 

自分が本当はしたくない行い

 

それでもしないと自分が守れなくて

 

やり続けていた

 

結果としては守るどころか失う事にしか繋がってなかった

 

本当に大切にしたいのは

 

自分が関わる人が幸せで楽しくて笑ってくれること

 

もちろん自分が完璧な人間だとは思わない

 

ましてや、全ての人を幸せに出来るなんて大層なことは口が裂けても言えない

 

ただ、本当に自分の目の前に居る人がより良くなって欲しい

 

あなたがあなたらしく生きて居られるように自分にできる事で力が必要な時に助けてあげたい

 

もしかしたら、これもただの自分のわがままなのかもしれないけれど

 

本当に純粋にただ自分が関わる機会が与えられた誰かに少しでも笑っていられる時間を過ごして貰えたら嬉しい

 

だからと言って、幸せに出来なきゃいけないわけではない

 

あなたと出会った事が、関わった事が

 

最悪な思い、悲しい思い出にしたくないだけ

 

こんな自分勝手なわがまま

 

でも、本当に自分のやりたい事だから

 

そうして生きていく

ここまでは一方通行です。

誰かを想い

 

何かに思いを馳せ

 

日々迫る選択の嵐に

 

意識と無意識の思いが詰まる

 

どんな風に表現しても

 

どれだけ理解しようとしても

 

本当の意味で

 

正確に定まることの無い

 

想いを言葉に乗せて

 

「ありがとう」

 

「ごめんなさい」

 

「おはよう」って

 

伝える言葉を探し、放つ。

 

その言葉たちがいつか

 

伝えたあなたの心に

 

私の沢山の想いが重なって

 

あなたの頭の中で

 

私の言葉一つが持つ意味の

 

沢山の色合いを感じ合いたい

 

互いに言葉を交わし

 

それから先も

 

想いを込めて

 

思いにまっすぐ向き合いたい

 

だから

 

今のところはこれだけ言わせてください

 

「本当に生まれてきてくれてありがとう」

 

 

 

良いと善い、そして好い

正しいと信じる行いをする善い

自分がそれで満足できる良い

何を答えとするか分からない好い

全部意味合いが違っていて

用いるシーンによっては

どれが1番かってことも分からない

 

ただ、善いと良いは

答えがはっきりしている

正義を謳ってするだろう、善い

自分の中でのルールや基準、考えや価値観に

基づく、良い

 

元々自分は、自分の思う通りにする良いを前面に押し出して生きていた

でも、善い行いを求めて生きる事を知り

これを追求していた

けれど、いつしか善いことをしようとも

良いことをしようとも満たされないことに気付く

そもそも満たされる為にすることでは無いのかと考える

 

そうして自分がしようと思っていたことは

未来にきっと、「ああ、よかった」と

笑顔でいられる形を作り出したかったのかと

考える

そもそもそんな事に気付かない、どうでもいい

価値なんて感じないと

言う人も居るだろう

ただ、きっと貴方がひたすらに純粋に

歪曲を繰り返され続けなければ

感じることが出来たんだろうか

 

無償の愛ってやつを

2歳児の世界

変な考え方だって言われそうなのも

何ならバカにしてると思われるかもしれない

それでも、日々過ごしているとその度に

そう思わざるを得ないことが重なり

その蓄積によって

今割と本気でそう思っている部分があるし

大概の人を見る限りこれを否定できる要素が

見当たらない

 

端的に言えば、快不快に生き

感情の平行線で生きる様が

まるで駄々をこねて思い通りにならない事に感情をむき出しにして自分が正しいと言わんばかりに他人を大切な人を傷付ける言葉を

平気で吐き出して、自分もそれ以外も不幸に導く言動をする人が後を絶たないと思っている

 

もちろん、本当の2歳児であれば

これからの発達段階や無知がゆえの結果だと

考えるからそれを愚行だと言わない

 

ただ、社会に出て仕事をしてお金を稼いで家族を持ち、子供を育てて、自分よりも何年

いや何十年と生きて経験している人達でさえ

そういう事をする

 

確かに全くしないで生きられないのは

ストレス過多の観点からも

無理はないとは思う

 

ただし、自分が苦しいから人を傷つけても良いのか

自分がそれに見合うと思う苦しみを味わって居たら、酷い話人を殺めても正当化されるのか

そんなのただ自分の行いを自分勝手に思い通りに処理するための口実だと思ってしまう

 

なぜ、そこまで生きていて

対人関係を育んでいて

ただひたすらに愚か者でいられる

 

学べ、無知である事を恥じれ

人と人が共生している今の世の中で

人とどのようにして傷つけ合わないかを

考えて居ない人は

いやむしろ、傷付けまいと

それでも自分らしく生きる為に

互いを尊重して生きようとする人がいるだろうか

 

指折り数える程度しか居ないと

割と本気で思っている節もある

 

勉強も、仕事も、お金を稼ぐことも

出来てたって人を幸せに出来ないような人間が

自分を幸せには出来ない